
平氏の滅亡後
大きな動きがあったんですよ

えっと・・・
「壇ノ浦の戦い」で
平氏は滅んだんでしたね?

そうです🎵
源頼朝という人が弟の義経に命じて
「壇ノ浦の戦い」で
平氏を滅ぼしたんでしたね!
今回は、その後の世の中は
どのようになったかを勉強しましょう

俺がいたら
平氏が勝っていたな!

鎌倉幕府の始まり
鎌倉時代の始まりを穴埋め問題で確認をしていこう
平氏の滅亡後、平氏を倒した源氏の時代が到来するんだけど、源頼朝(兄)と源義経(弟)が対立してしまうんだ
頼朝は義経をとらえることを理由に朝廷に強くせまり、1185年に国ごとに(① )、荘園や公領ごとに(② )を置くことを認めさせたよ
こうして頼朝は、本格的な武士の政権である(③ )を開き、ここから続く140年の時代を(④ 時代)というんだ
義経が平泉の奥州藤原氏のもとへ逃れると、頼朝は義経と藤原氏を滅ぼし、全国を支配下に置き、そして頼朝は1192年に(⑤ )に任命され、政治制度を整備していったんだ
鎌倉幕府の始まり【解答】と【解説】
①守護 ②地頭 ③鎌倉幕府 ④鎌倉 ⑤征夷大将軍

「幕府」ってなんなんですか?

幕府とは簡単に言うとこんな感じです
幕府とは、もともとは中国で将軍が指揮を取る場所のことをいったんだ
それが日本に入ってきて、日本では将軍(征夷大将軍)が政治を行う場所のことをいうよ。歴史では、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府の3つがあり、それぞれ将軍をトップに置いた武士の政権のことを指すんだ

将軍!!
まさに俺みたいな
最強のやつだな!
将軍と武士は「御恩と奉公の関係」で結びついていた
「御恩と奉公の関係」とは?穴埋め問題で確認をしていこう
鎌倉幕府では、将軍と武士は主従関係によって結ばれていたよ
将軍は武士に対して、所有している土地を保護したり、新しい領地を与えたんだ。このことを(① )というよ
一方、将軍に忠誠を誓った武士は(② )と呼ばれ、京都や鎌倉の警備をしたり、戦いがあると命をかけて将軍のために戦ったんだ。このことを(③ )というんだ
このように将軍と御家人の間には、強い絆があったんだね
御恩と奉公の関係【解答】と【解説】
①御恩 ②御家人 ③奉公

この時代は「土地」が
大事だったんですね

自分の土地を持っていても
いつ争いが起きて
奪われるか分からなかったんです
将軍がそれを守ってくれるというのは
とても心強いことですよ

そして御家人は
守ってくれる将軍様のために
全力で働いたんですね

それが
「御恩と奉公の関係」か!
鎌倉幕府の仕組み
鎌倉幕府の仕組みを穴埋め問題で確認をしていこう
鎌倉幕府では中央(鎌倉)とそれ以外の地方に、それぞれ次のようなものが置かれたよ
【中央(鎌倉)】
- (① )~御家人の統率や軍事を行う
- (② )~幕府の財政、政治一般などを行う
- (③ )~裁判を行う
【地方】
- (④ )~国ごとの軍事・警察・御家人の統率を行う
- (⑤ )~荘園や公領の管理・年貢の取り立てなどを行う
- (⑥ )~京都の警護・朝廷の監視などを行う
鎌倉幕府の仕組み【解答】と【解説】
①侍所 ②政所 ③問注所 ④守護 ⑤地頭 ⑥六波羅探題

侍って言葉が気に入った!
俺は侍所で働らこう

それぞれ、今の時代でいう
政府の偉い人達です
真面目に働かない人は
ダメですよー
今回のまとめ

幕府って、武士の政権なんですね
戦いもできて、政治もできて
すごい人達だ!

ここからしばらくの間
日本は武士が中心となっていきます
現代と違って
政治をめぐって
命の取り合いもたくさんおきますよ
命がけの時代ですね
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