【中学生 歴史⑰】執権政治について 鎌倉時代の最も大事なポイント

歴史

鎌倉幕府を開いた人は

誰だったか覚えてますか?

源頼朝!!

正解で~す🎵

今回は源頼朝が亡くなった後の

鎌倉時代を勉強していきましょう

こちらも参考にしてね!

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執権政治

執権政治とは何か?穴埋め問題で確認をしていこう

頼朝の死後、頼朝の息子である第2代将軍源頼家と御家人との争いや、御家人どうしの争いが起こり、やがて幕府の実権は、頼朝の妻である北条政子の父の北条時政がにぎった

これ以降、(①    氏)は将軍の力を弱めて政治の実権をにぎる(②     )という地位に就き、(③     )を行ったんだ

執権政治【解答】と【解説】

①北条 ②執権 ③執権政治

源頼朝の死後、「源氏」の時代には

ならなかったんです

鎌倉時代は「北条氏」の時代

と言ってもいいでしょうね🎵

執権政治って

将軍は名ばかり・・・

なんかかわいそうだな

平安時代の「摂関政治」と

似てる・・・

朝廷の反乱 後鳥羽上皇が起こした承久の乱とは

承久の乱について、穴埋め問題で確認をしていこう

1221年(①     )は、朝廷に政権を取り戻そうとし、幕府を倒そうと(②     )をおこしたが、幕府軍に敗れ、隠岐(島根県)に島流しされるんだ

乱の後、幕府は、上皇側についた西国の武士の土地を取り上げ、東国の御家人を地頭に任命し、京都には(③     )をするために(④     )を設けた

こうして幕府の支配は西国にまで広がっていったよ

承久の乱【解答】と【解説】

①後鳥羽上皇 ②承久の乱 ③朝廷の監視 六波羅探題

承久の乱の際

源頼朝の妻である北条政子の

頼朝への御恩を説いて

御家人たちを結束させた訴えは

とても有名です

「みなの者、よく聞きなさい。頼朝公が幕府を開いてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも深いものでした。みながそれに報いたいという志はきっと浅くないはずです。名誉を大事にする者は、京都に向かって出陣し、幕府を守りなさい。」(『吾妻鏡』より一部要約・現代語訳)

武士の法律の制定 御成敗式目

御成敗式目について、穴埋め問題で確認をしていこう

3代目執権の(①     )は、1232年に(②     )を定めた

これは武士の慣習に基づいて作られ、政治の判断の基準とされた法律で、長い間、武士の法律の見本になったんだ

御成敗式目【解答】と【解説】

①北条泰時 ②御成敗式目

御成敗式目には

次のようなことが書かれてます

  1. 諸国の守護の職務は、頼朝公の時代に定められたように、守護の国内の御家人を京都の守備にあたらせることと、謀反や殺人などの犯罪人の取り締まりに限る
  2. 武士が20年以上、実際に土地を支配しているならば、その権利を認める

今回のまとめ

今回の部分は

鎌倉時代の中でも一番大事な部分です

テストや入試でも

狙われやすい所ですよ🎵

執権政治

承久の乱

御成敗式目

言葉だけじゃなく

時代の流れもしっかりと

つかみましょう🎵

今回はここまで、お疲れさまでした!

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