
縄文時代次の時代を
弥生時代というんだ
日本中に小さな国々ができていき
その中で現れたのが
女王の卑弥呼という人だよ

女王なんて、かっこいいね
弥生時代って
どんな時代だったんだろう?
こちらも参考にしてね!

弥生時代の文化の特色
弥生時代の文化を、穴埋め問題で確認していこう
紀元前4世紀頃、大陸より(① )が伝わり、水田の近くにムラが造られた、ムラの中には住居の他に、収穫した稲をたくわえるために(② )も作られたんだ。また、稲作と一緒に、鉄器や青銅器などの(③ )も伝わってきたよ
もともとは武器であった銅剣や銅矛も、日本では銅鏡や銅鐸と同じように、主に(④ )のための宝物として使われていたんだ
高温で焼かれ赤褐色をした薄手の(⑤ )が作られ、この時代を(⑥ 時代)というよ
代表的な弥生時代の遺跡には、静岡県の(⑦ )や佐賀県の(⑧ )があるんだ
弥生時代の文化【解答】と【解説】

答えだよ
①稲作 ②高床倉庫 ③金属器 ④祭り ⑤弥生土器 ⑥弥生 ⑦登呂遺跡 ⑧吉野ケ里遺跡

弥生時代は
大陸から移り住んだ人々によって
稲作が九州の北部に伝わったことが
大事だよ
稲作はやがて東日本にまで
広がっていったんだ


佐賀県にある吉野ケ里遺跡です
住居の周囲に水田を作って
稲作を行っていたんだね

協力しながら
稲作が行われるようになって
指導者が農作業を指揮したんだよ
こうして指導者の地位が
高まっていき
身分の差が生まれてくるんだ
国々の誕生について
国々の誕生を、穴埋め問題で確認していこう
稲作が盛んになると、小さな国々ができ、人々を支配する有力な(① )や(② )が現れるようになるよ
中国の歴史書「漢書」には、紀元前1世紀ごろ、(③ )(日本のこと)には100余りの国があり、中には漢に使いを送り、(④ )といって、中国の皇帝に貢物をする国もあったと記されていて、朝貢の目的は、(⑤ )ためだったと考えられているんだ
また、「後漢書」では1世紀半ばに、現在の福岡県にあった倭の奴国の王が、(⑥ )に使いを送り、皇帝から(⑦ )を授けられたと書かれているよ
国々の誕生【解答】と【解説】

答えはこうです
①豪族 ②王 ③倭 ④朝貢 ⑤国王の地位を認めてもらう ⑥後漢 ⑦金印

稲作が盛んになったことで
社会の仕組みは
大きく変化していったんだね

中国はこの頃「漢」という国の
時代出たんだけど
「漢」とのやり取りは
頻繁にあったんだろうね

「漢書」の要約はこんな感じだよ
「(紀元前1世紀ごろ)楽浪郡の海のかなたに
倭人がいて、100以上の国を造っており
なかには定期的に漢に朝貢する国もある」
邪馬台国と女王卑弥呼について
邪馬台国と女王卑弥呼について、穴埋め問題で確認していこう
3世紀になると、中国では後漢が滅び、(① )、蜀(しょく)、呉(ご)の三国に分かれて争っていたんだ(有名な三国志)
そのころ、倭には(② )という国があり、(③ )に朝貢をしていたよ
魏の歴史書に記述されている「魏志倭人伝」には、邪馬台国の女王(④ )が、倭の30ほどの国を従えていたことや、魏に使いを送っていたことや、魏の皇帝から(⑤ )という称号の金印を授けられたことなどが書かれているだ
邪馬台国と女王卑弥呼【解答】と【解説】

答えはこうなります
①魏(ぎ) ②邪馬台国 ③魏 ④卑弥呼 ⑤親魏倭王

魏志倭人伝は
次のように書かれているんだよ
「南に進むと邪馬台国に着く。ここは女王が都をおいている所である。・・・倭にもともと男の王がいたが、その後国内が乱れたので一人の女子を王とした。名を卑弥呼といい、成人しているが夫はおらず、一人の王が国政を補佐している。・・・卑弥呼が死んだとき、直径が100歩余りもある大きな墓を造った。」(魏志倭人伝 部分要約)
今回のまとめ

この頃より、中国との関係が密になって
のちに中国より様々な影響を
受けるようになっていくんだ

邪馬台国の場所は
近畿にあったとされる説と
九州にあったとされる説に
分かれていて
詳細は不明なんだって
今回はここまで、お疲れさまでした!
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